じめじめ日和

読書や見た映画などの記録をしています。

ルーピン先生の気分がよくなるチョコ食べてみたい

 

ハリーポッターを見よう

が毎年の目標になって、今年多分10度目くらいだったと思うけどようやく達成!

 

ハリーポッターは幼少期にいとこが見ていた横で少し見たことがあって、その時見たドビーが怖すぎて見ないまま大人になってしまった。ドビーがクローゼットから飛び出して走りまわって、音を立てないで!と言われても暴れ、叱られると頭をぶつけて自傷する。コントロールできない、話が通じない未知の生物が子供の私には恐怖の存在だったし、しっかり見た今でもちょっと怖い。いいやつなんだよな、あいついい奴なんだけどちょっと、たまにブレーキが利かないとこがあんだよ、でもいい奴だぜ。

 

子供の頃の食わず嫌いで見たことないままでいるのも嫌だったのでついに挑戦した。

序盤からワクワクできると思い込んでいたのでハリーの家庭環境に卒倒しそうだった。それでもハリーは希望を捨てずに健気に生きているし、ホグワーツの子供たちがみんな素直でかわいいのには温かい気持ちになった。

でも空を飛んだり、変身薬を作ったり、透明になったり、そんな楽しい魔法の世界でワクワクしていられたのは最初の2作くらいまでで、4作目の終わりにもなると絶望が一気に迫ってきた。もう続き見れないかもとか思ったし、魔法があればいいのになんて気軽には言えないなと思った。魔法があったって争いはこの世から消えないらしい。

 

字幕で見たあと吹替でも見て2周した。見れば見るほどどのキャラクターも魅力的に見えて、嫌われ者としてしか知らなかったマルフォイにもあの家に生まれたからこその悩みや葛藤があったのかなとか考える。あの事前知識がすごく偏ったものだとわかって謝りたくなった。ドラコごめんね

個人的に好きだったのはロンのお兄ちゃんで双子のジョージとフレッド。いつもニコニコヘラヘラしていて、面白そうなことにだけ機敏に反応してくる。ロンがナメクジくらった時も心配じゃなくて面白がって駆け寄ってたよね、ニヤニヤしながら。まあでもなんだかんだやさしい面もあるよな、ちょっと今思い出せないけど、、ハリーの育った家やマルフォイ家と対比するみたいにウィーズリー家の温かさを描く演出が残酷とすら思ったりもしたけど、最後はマルフォイ家の母ナルシッサの子への愛情に感動した。

このあたりの、キャラクターに対する解釈はものすごく自分に都合の良いものなので、今度は原作の小説も読んでもっと深く知りたい。まだまだ何度でも楽しめそうです。

 

レモンエロウ

 

梶井基次郎

檸檬

 

高校の教科書で読んで衝撃を受けた作品。

普段聞かない言葉と難しい漢字がたくさん使われているのに、その独特な表現の中で風景や色彩が鮮明に想像できるのが不思議だった。びいどろを嘗めてみるのが好きだみたいなのとか。そんなの経験したことはないけど、なんとなくきれいな物を前にして心が躍るような感情が想像できたり。

八百屋の外観も「驟雨」「絢爛」みたいな普段到底使わない言葉をたくさん使って表現している一方で、廂を帽子に例えるところはすこしコミカルで面白い。このバランスが気分の浮き沈みに似ているのかもしれない。

それから本屋に檸檬を置いて去るシーン。ここでの妄想はびいどろの話と同じで、自分では思いつかない。それなのに、想像してみると自分の気持ちも同時にスカッとするのがまた不思議で、癖になる。初めて読んだときからこの感覚がすごく好きになった。

 

今回読んでいるのは『檸檬』を含めて14篇収録の角川文庫のもの。

購入当時、店頭に並ぶ表紙に惹かれて購入。てぬぐいブランドの「かまわぬ」とのコラボの装丁らしい。ほかにもいろいろあったけど、同じく教科書で一部だけ読んだ夏目漱石の『こゝろ』を一緒に購入した。たくさん集めたくなる、本当にかわいい。

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実はまだ読みかけ。

最初の『檸檬』を久しぶりに読んで、やっぱり面白いなあと感動したので衝動的にいろいろ書いてみた。

 

 

『西の魔女が死んだ』

 

梨木香歩

西の魔女が死んだ

 

1994年出版だそう。

中学の頃の推薦図書だったような気がする。タイトルこそよく聞いたけど読んだことがなかった。

 

不登校宣言をした少女まいが、母親の勧めでおばあちゃんの家で過ごした頃の思い出のお話。まいが魔女と呼んでいるおばあちゃんは、魔女修行としてまいに精神力を鍛えることを勧め、自分で決断する大切さを教える。おばあちゃんとジャムを作ったり、洗濯をしたり、自然の中での生活を通してまいが生きる力を取り戻していくような物語。

おばあちゃんの教えはどれも、生きていくために必要な考えだなと納得できた。自分で決める、外からの刺激に反応しない。そして、自分が楽に生きられる場所を求めることを後ろめたく思う必要はない。などなど、おばあちゃんの教えは魅力的なまでの強さがあった。

まいももともと精神力が弱かったというわけではなく、学校に行かないと決めた経緯を話す場面からも、最も根本には自分なりの考えをもつ芯のある子だとわかる。田舎での魔女修行は転地療養でもあったのだろうけど、自分の価値観を大切にしつつ社会と調和していくための勉強会のような感じでもあった。

 

豊かな自然が想像できるほど、優しくひとつひとつ繊細に描かれている。自然に包まれながら過ごした日々と、少しの心残りが残酷なほど鮮明に感じられた。暖かかったからこそ、痛みが鋭くなる。

まだ記憶に新しい自分のおばあちゃんとのお別れを思い出して泣いた。まだ私はこれから何度も、おばあちゃんを思って泣くだろう。きっとまいも同じ気持ちを抱えて生きている。

 

思い出すのはつらすぎたけど、それでもこの本を読んだ後は悲しさだけではなく、温かさも感じることができた。それは巻末の解説にもあったように、死が悲しいだけのものではないというおばあちゃんのメッセージがあったから。魂と魂の間を隔てるものがなくなるのだ、と。まださすがにそこまでは理解ができないけど。

それに、まいのおばあちゃんの教えが、私とおばあちゃんをつなぐものになるような気がしている。私が元気に生きていくことがおばあちゃんのためにできることだと信じて、私も魔女修行なるものをしてみようと思う。

 

神威

 

9月某日 京都文化博物館

ゴールデンカムイ展へ

 

2021年夏ごろの無料公開時に一気読みしてハマり、それ以降本誌を追いかけて物語の最後を見届けた。

展覧会に行き改めて、ゴールデンカムイありがとうの気持ちがあふれ出したので、いろいろ書いてみようと思った。

 

メンタルが弱い私にとって、アニメや映画・漫画は体力を使うエンターテインメントでもあった。楽しんでいる一方で、志半ばに散っていった人や、仲間を失うキャラに感情移入してつらくなったり、恐怖にとらわれてしまう性質で、友人に何か勧められたときまず聞くことは「それ平和?人死ぬ?」だった。

もちろん大事なのは生死だけじゃないんだけど、それが最初の関門みたいなものだったので。だからどれだけヒットしていても、さらには見たいという気持ちがありながらも、鬼とか巨人と戦うやつは見る決意ができなかった。

 

それがどうしてゴールデンカムイに触れることになったかは、またこれも人に勧められたからでしかなかった。概要を詳しく知らずに読み始めて、最初は驚いた。ヒグマが怖い。ちゃんとグロい。脳汁出てる。ヒグマこわい。俺は騙されたのか…。(内容をよく調べずに読み始めただけ)

それでもなんとなく目が離せなくなって読み進めた。主人公が圧倒的不死身だったのは私にとって唯一の安息だった。そしてアシㇼパの言葉

あいつの強さは死の恐怖に支配されない心だ

(3巻18話)

このセリフに救いを感じた。私自身はあらゆる恐怖にとらわれやすい。戦争をも経験してきた不死身の杉元と、お豆腐メンタルの私ではなにもかもが違いすぎる。それでもなぜか、この言葉には希望を感じていた。

何がよかったのか、この言葉がきっかけで、最後まで読む決心がついた。それから少しずつ幅が広がり、今まで読むのを躊躇していた作品なども読むようになった。

もちろんショッキングな展開には気落ちしたり、体力を消耗しすぎることは変わらないけど、たくさんの作品に出会うきっかけになったのがゴールデンカムイだった。

 

本誌を追いかけるのは初めての経験で、楽しくもあり、更新されていくのが怖かったりもした。単行本も買って繰り返し読み、アニメも見て、いつも同じところで泣いて、展でも泣きそうだった。

ちなみに展で面白かったのは野田カムイのコメント。物語の書き手というより伝承者のような、ある意味他人事のような解説が不思議で魅力的だった。

展示されている物がみんな先生の私物だったのも、どんな思いで作品に向き合っていたかを物語っているようで、じっくり見ることができて本当によかった。あとみんなが口々に漏らしていた感想が「絵、ウマ」だったの忘れられない。ほんとそれ。

 

アニメは4期に入り、こちらも物語の終盤。完結が迫っている。アニメが完結したらとうとう全てが終わってしまうような気がして怖い。4期始まるね!と友人は楽しそうだったけど、始まったら終わっちゃうじゃん!!とかわけのわからないことを言ってしまうほどには終わりが怖い。

追いかけてきたのはたった1年、だけどその存在が私の中では大きすぎて、寂しい。でもここまで夢中になれたのは幸せだし、これからもずっと大好きな作品であり続けると思います。

ありがとうゴールデンカムイ、ありがとう野田先生。

 

 

読了 『いのちの車窓から』

2017 星野源

いのちの車窓から

 

積読消化の旅、1冊目は読みやすそうなものから。

雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載中のエッセイをまとめたもの。以前読んだ彼のエッセイ集『そして生活はつづく』が面白かったので購入。

 

彼のエッセイは、歌っている姿と同じですっきりした印象で、飾らない気取らない言葉が魅力的。作曲の裏話や、ドラマ出演者との会話など、彼の幅広い活躍から生まれるエピソードと、誰からも愛される彼の、仕事だけじゃない「生活」の部分を垣間見ることができる。

 

少し読み進めてみて思う、「これ読んだな」

買った帰りの電車で冒頭だけ読んだかもしれないなと思った。

 

それからなんだかんだで数日かけて、毎日寝る前に読む。

そして毎日思う「やっぱりこれ読んだわ」

途中から確信していたけど、やっぱり面白かったので最後まで全て読んだ。ガッキーが可愛すぎる件についてとか、前も読んだなとか思いながら、それでも、この後ふたり結婚するのか〜と新鮮に感動した。ガッキーはかわいい。ほっとするような、たまに共感するような文章が寝る前にはぴったりだった。

 

あとがきを読んでさらに思う

あ、表紙のイラストって1巻の意味だったのか。

いやこれ前も全くおんなじこと思ったわ。

 

自分の記憶力が悲しい。

 

とにかく今回は積読消化の一冊目をやり切ったということにしよう。

 

KOC健康にいい(*個人の感想です)

 

お笑いが好きでよかった

改めてそう感じられたことが何よりよかった

以前はお笑いライブに足を運んであちこちでコントや漫才を見てきたけど、コロナをきっかけに遠征が難しくなってからは、お笑い自体が生活から遠のいてしまっていた。それが今回、久々にリアタイ視聴したこともあって、やっぱりお笑いは楽しい!と思いっきり笑うことができた。

 

今年は特にパワフルなメンバーが勢ぞろい。

勢いがあって、しつこくて、声がでかくて、ハイテンション。ばかばかしくてくだらないことに全力な大人はあんなにも面白い。スピード感に吞まれるように笑って、多分その中でにぎやかなライブ会場の空気を思い出したんだと思う。お湯が沸くみたいに観客の笑い声が大きく高まっていく感じ。それがすごく楽しかった。

個人的に爆発したのは「目的を理解してないですよね」、あれはずるい。

みんな面白くて、みんな大優勝。

 

お笑いは健康にいいと私は実感している。

《笑うことを諦めるな!》

 

 

積読消化の旅

 

本を読もう

 

読もう

 

読むぞ

 

絶対読むから…

 

 

と思ってずっと読んでないものがありすぎた。みんな本屋さんのカバーかぶって、どれが何の本かわからない。

 

春に断捨離をした時には、いっそ手放すことも考えたけど、手放すには惜しかった。

だってほんとにいつか読もうと思ってたもん。

 

《皆さん最初はそう言うんですよ。でもその「いつか」って来た試しがないですよね》

 

脳内ミニマリストの言う通り。いつか読むと言ってもう何年経ったか分からない。他のものは、その助言の通りにかなり断捨離してきたけど、それでも本だけはもったいない気がして、なかなか手放せなかった。

 

もったいないと思うなら読むしかない…

 

《それができたらやってるんですよ。今までもそう言ってやらなかったんでしょ》

とか言ってきそうだったから一旦ミニマリストへの憧れは忘れて、時間の使い方の見直しをすることに。せっかく読みたい気持ちがあるのなら時間を設けなければ。寝る前の時間を読書に充てるため、まず読書用のやさしい照明から買ってみた。

 

これは、寝る前に惰性でスマホを触るのをやめることも目的の一つ。寝つきの悪さが最近気になっていたので、寝る前の習慣を変えたいと思っていた。

深夜に物件調べたりネットショッピングしたくなるのなんでだろうね。

 

時間をかけて楽しく続けていきます。